伝統行事のご紹介(御田植祭)
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伝統行事のご案内

恒例祭典

歳旦祭

年のはじめに皇室の弥栄と国家・氏子の安寧を希う神事です。大晦日には除夜祭も斎行されて一年間を振り返り、来る新年に向けて清々しくお迎え戴こうと皆様方のお越しを心よりお待ち申し上げております。 また3が日は授与所も開設し、破魔矢・お札などを受けに近隣地域から大勢の参拝者がお参りに来られます。神社でも暮れのうちに総代さんが総出で迎春の準備を執り行いつつ、お手製の甘酒を造りさあ準備は万端に整いました。

春季大祭・御田植祭

毎年、4月6日に斎行されます。
午前11時若宮八幡社本殿に於いてまず春季大祭が斎行されます。一般的には祈年祭(きねんさい)と称して、氏神様に秋の実り多き事を祈り、別名「としごいのまつり」ともいい、若宮八幡社3大祭の一つとして大切に守られる神事であります。式次第は宮司の祝詞奏上に続き、巫女さんによる神楽舞の奉納そして玉串拝礼と続きます。一同は同様に摂社である和漢将軍社にも拝礼し春季大祭は終了となります。
午後2時本殿前に設えた御田植斎場にて御田植祭が斎行されます。
まず本殿に於いて祝言の儀(結婚式)で幕を開けます。新郎の種(たね)カルイとその妻となる新婦そして媒酌人役の御手引きが揃って神前に着座すると神職が祝詞を奏上し、続いて三三九度の盃を厳かに酌み交わし、偕老同穴の契りを結ぶ。このあと本年生まれる子どもの性別を占う為に媒酌人役の御手引きが一礼しておみくじを引く。
祝言の儀が終了すると、いよいよ御田植斎場に移って神事は展開する。まずは馬鍬(モーガ)の行事である。牛使いと馬使いがそれぞれの牛と馬にモーガを引かせて代掻き(しろかき)を始める。奔放に暴れる牛と馬を「ホイホイ・ドウドウ」と懸命に制御しつつ、斎田いっぱいを掻いて廻りやっと代掻きを済ませる。やがて種カルイが種籾を入れた叺(かます)を棒で担ぎ、無言のまま登場。祭壇に叺(かます)を供えて徐に退場する。
入れ替わりに田植神主が登場。祭壇の前でお祓いをした後、種籾をパラパラと蒔く。蒔き終えると恭しく祝詞を奏上して退場する。次は柄振り(えぶり)が、能舞台さながらに『かように候者は当所の者にて候。本日最上吉日にて神の御田植をやろうずるにて候。某(それがし)柄振りの役なれば御田を指して急ぎ候。』と口上を述べて登場。鍬を打ち振って斎田の均(なら)しや畦塗りの作業を済ませる。
やがて「苗配り子の歌(後記)」を全員で合唱し始めると、苗配り子2人は歌に合わせて祭壇前に進み、苗を積んだ籠を各自天秤棒で前後に担いで、横一列に並んだ早乙女たちのところまで運び、ひとりひとりに苗束を配って歩く。この間、音頭役を務める田植神主・柄振り・太鼓打ちの面々は、祭壇近くに並んで早乙女たちと向かい合う。太鼓打ちが『そもそも神主殿、吉き方に向かい、御幣を上げ声を立て』と大声で口上を述べるといよいよ御田植の本番となる。早乙女たちは向かい合った音頭役と「御田植歌(後記)」を交互に歌い合いながら一斉に挿し苗の手を動かす。かくて歌が終わるころは斎田は一面の青田に変わってしまう。
神事はクライマックスに達し、御子産(おこさん)の儀となる。媒酌人役の御手引きに付き添われたお中の大きな種カルイの妻がコビル用の握り飯を入れたハンギリ橋を頭上に捧げて登場。これを恭しく祭壇に供えての帰途、急に産気付き大仰な身振りで陣痛を訴え出したからさあ大変。参詣者一同笑い転げるうちにやがて出産と相成った。助産婦よろしく立ち働いた御手引きが赤ん坊を抱き上げて一同に赤ん坊の「男・女」を知らせる。御子産の儀が終了すると神職のお祓いによって斎田が清められ、御田植祭はめでたく終了となるのである。
この由緒ある若宮八幡社の御田植祭を連綿と守り続ける中津屋地区は戸数わずかながらも保存会の御尽力によって老若男女相携えての神事奉仕であり、誠に尊い誉であると言えましょう。

春季大祭・御田植祭
苗配りの歌

小田(おだ)の細道 乙女の小袖よ
田面(たおも)吹く風 静かに流すよ
めんでたし めんでたし
めでたき御代に 栄えの苗はよ
万代(よろずよ)尽きぬ めでたき早苗よ

御田植歌

植えい植えい早乙女 笠買うて着しょうよ[音頭]
笠だにたもるなら なんぼも田は植ようよ[早乙女]
おう早乙女よ 化粧紙が欲しゅいか[音頭]
化粧紙にたもるなら なんぼも田は植ようよ[早乙女]

配役と衣装
  • ○田植神主(狩衣・烏帽子)
  • ○太鼓打ち
  • ○お手引き(羽織・袴)
  • ○柄振り
  • ○種カルイ
  • ○牛馬使い2名(筒袖浴衣)
  • ○種カルイの妻(挟付き浴衣・おたいこ帯・角隠しの布)
  • ○牛馬の前後脚後4名(黒の股引き)
  • ○苗配り子2名(小袖・襷・花笠)
  • ○早乙女8名(挟付き浴衣・赤襷・手拭い)

出典 若宮八幡社御田植祭保存会会長 植村達男さま

仲秋祭・楽の市

若宮八幡社の楽打ちは毎年9月15日に近い日曜日に斎行される。
この日は仲秋祭と言い、親神様である京都石清水八幡宮の例大祭日でもある。昔は八幡別当の護保寺において放生会(ほうじょうえ)も行われた。藩候の代参もあり市中より笠鉾数本も奉仕された。この市を俗に農具市と称し、農耕に要する農具類が沢山出荷され、人出も多く賑わっていた。また楽打ちの奉納もあったので「楽の市」ともいわれている。
楽打ちの趣旨は色々伝えられている。出陣の戦勝祈願、凱旋の祝賀、天下泰平・国家安康、風災虫害防除、五穀豊穣を祈る……など様々であり、服装から見て南洋方面から来たものだとか、唱え詞に朝鮮語らしい発音があるので征韓の折りに朝鮮から移ったものではないか、また仏語が交じっているので念仏踊りの系統ではないか……などと言われている。

仲秋祭・楽の市
式次第

この日、午前11時から本殿に於いて仲秋祭の神事が厳かに斎行される。午後2時に北杵築の中津屋大鴨川地区から22名の少年たち(現在は北杵築小学校や宗近中学校などにも応援戴く)が神社下に勢揃いして、お祓いの後、世話役を先頭に笛2人、鉦2人の囃子方の囃子に従い、二列縦隊となって互いに踊りながら三の鳥居と神門との間55段の石段を上がっていく。
神門に至って踊りをやめ、門を入り拝殿前の向かって左の広場に一同本殿に向かって二列横隊に整列し、世話役が「楽白須詞(後記)」を奏上する。終わって心楽2人を中心に他の端楽(だがく)20人は円形を作り、心楽の「ナーリーリー」という掛け声に応じて全員唱えて踊る。2回繰り返し次に今まで両手で打っていた胸前の太鼓を片手で打つ。これを「片撥(かたばち)」という。このとき心楽が双方入れ違いに飛ぶ。終詞を唱えて楽打ちは終了となる。

衣装

楽打ちの衣装は定紋付白衣に向う鉢巻、手甲、赤襷、革の腰ジョを着けて草鞋(わらじ)を履く。胸に太鼓を付け両手に撥を持ち、背には飾りのついた幟を負う。心楽2人はその先に色紙の細片が入った目籠がついて、籠のヒゴの編み残しを長く垂らす。鉦笛に合わせて太鼓を叩き、一同調子を合せて活発に踊り、端楽は徐々に円形に廻る。

文化財指定

素朴で雅趣のある郷土芸術である。これを後世にまで保存するため昭和36年記録の作成等の措置をすべき無形の民俗資料として昭和40年3月に大分県により選択指定された。

楽白須詞(がくをもうすことば)

抑も大神に楽を奏する由来は、昔、神功皇后三韓御親征の時、朝鮮語を以て号礼と為す。依て此の符号を以て楽譜と為す。その後、松平氏杵築に封せられ下向の際、海上暴風雨のため、その船沈没せんとす。松平氏若宮八幡宮祈請して、その難を免るることを得たり。依て入城後、楽を再興し八幡宮に奉奏す。今に楽を奏して、大神の御心を慰め奉る所以なり。

始唱

テーツクテー イナ テントー
テーツクテー イナ テントー
テーツクテー イナ テントー
ヒーヤル ランラン ラルラ ラント
ヒーヤル ランラン ラルラ ラント
チョインノ チョイン

新嘗祭・斗初穂

11月23日 勤労感謝の日に斎行されます。
新嘗祭とは宮中及び全国の神社で斎行される収穫祭で、豊穣を祈念する祈年祭(春祭、当社の場合4月6日)と対置される祭事であります。古来よりは11月の下卯の日とされておりましたが、明治6年の新暦採用から現在のように23日に改められました。遥か宮中に於いても「神嘉殿」にて天皇陛下自らが斎主となり神座・御座を設けて夕御饌(ゆうみけ)と朝御饌(あさみけ)の2回、天照大御神・天神地祇に新穀を供えて新嘗祭が斎行されます。また年ごとの新嘗祭に対し、天皇の御即位後初めて斎行される一世一代のそれを「大嘗祭(だいじょうさい)」と称し平成2年11月に皇居東御苑に設えた「大嘗宮(だいじょうぐう)で斎行されました。春季大祭(祈年祭)・例大祭と共に若宮八幡社の3大祭のひとつであります。

斗初穂

若宮八幡社信仰の一つとして、氏子さんは初穂のお供えをして参りました。当社では米1升のお初穂を10年間続けて奉納(10升=1斗)した方に対して、参道に石碑を建てその志を永く顕彰して参りました。現在では米1升を3,000円に換算し、それに10年を乗じた30,000円で完了となっています。最近では10年を待たず一括または短期間での納付を希望される方も増えております。尚、斗初穂の御浄財は若宮八幡社での大きな修繕や出費等護持のための財源として一般会計とは別に「斗初穂特別会計」で経理しています。斗初穂の申込みは若宮八幡社若しくは次の総代まで御連絡下さい。

※斗初穂担当神社総代
  • ・本多泰久(宗近区) 0978(66)1161
  • ・河本理宏(東溝井区) 0978(62)1982

例大祭

若宮八幡社最重儀といわれる年一度の大祭です。昔は1週間以上も執り行われていましたが、現在は12月上旬の土・日曜日2日間です。

例大祭
第1日 お下り神事(おくだりしんじ)
午前
長寿交通安全祈願祭を斎行
午後
みさき神楽奉納
第2日 お上り神事(おのぼりしんじ)
午前
斗初穂奉納奉告祭

2日間にわたる例大祭は終了します。

若宮八幡社の牛馬市

古来、若宮八幡社の例大祭には頓宮前にあった特設会場にて牛馬市が賑やかに催されておりました。天喜5年(1057)3月生地村岳に、承安3年(1173)9月中村に奉遷。このとき京都大納言藤原伊通卿より七日の市を許される。この市は日本三大牛馬市に発展する。勅許を得た市は九州でも珍しい。
この行事は牛馬市へと広がる。この牛馬市は奥州白河・山陰大山の牛馬市とともに日本三大牛馬市として有名であった。
この市は承安3年(1173)の放生会(ほうじょうえ)に7日間の市が勅許されたのに始まる。昭和30年代には数百頭の牛馬が出され、威勢の良い掛け声でセリが開かれていた。また昔流に伯楽(馬喰・ばくろう)たちが、洋服のポケットに指を突っ込み値を決めるのどかな光景も見られた。戦後、牛馬の出頭数が減ったとはいえ、遠く関西地方から買い付けに来てこの牛馬市はなかなか盛んであったが、現在は残念ながら執り行われていない。しかし地元有志の方々にこの牛馬市を復興させようとの動きも生まれており、年数はかかるかも知れないが是非ともこの歴史ある牛馬市を復興させてみたいものである。

主基地方風俗舞

天皇陛下が皇位を継承されることを「御大典」といいますが、その柱となるものが即位の礼と大嘗祭です。大嘗祭とは皇祖及び天神地祇に新帝御自らが特別の新穀をお供えして行われる御一代一度の大切な儀式です。
平成大嘗祭では、大分県がこの新穀をつくる主基国(西日本の代表として大嘗祭に献穀する県)に卜定され、玖珠町山田の穴井進氏の所有田が斎田となりました。大嘗宮主基田供饌の儀には、主基国からの献穀と共に風俗歌が供進され、また大嘗祭の直会に当たる大饗(たいきょう)では、風俗歌に舞の手振りを付けた風俗舞が披露されました。
平成の主基地方風俗歌・風俗舞は、歌人香川進氏が大分県の地名を詠み込んだ和歌四首に、宮内庁楽部が県内の民謡・俚謡及び郷土舞を採り入れて、作曲及び振り付けをしたものです。本来、この国風歌舞(くにぶりのうたまい)は御即位の都度新作されることから、玖珠の主基斎田とともに、大分県の歴史にしっかりと留め置き、且つ校正に語るべき大変名誉なことといえましょう。
天皇陛下御即位二十年を契機として、大分県神社界が熱望してやまなかったこの平成大嘗祭主基地方風俗舞の習得そして継承のお許しを戴き、宮内庁楽部による指導が開始され、また大分神社庁が舞装束・舞具を購入するなどして、そのすべてが調った平成22年6月、主基斎田の地である玖珠町瀧神社(穴井伸久宮司)御神前での奉納演奏が行われたのでした。
爾来、毎年6月14日には瀧神社では「玖珠郡豊穣祈願祭」が斎行され、当社禰宜紀田兼宣もその末席にお加えを賜り、共に平成大嘗祭主基地方風俗舞を御奉仕させて戴いている次第にございます。 ここにその舞歌の御紹介を致します。

参音声「くじゅう高原」
霧やがて 晴るればくじゅう 高原(たかはら)は
つばらかにして 牛くさを食む

くじゅう高原の「稲取歌」を参考にしています。

破「高崎山」
高崎山 みどりを清み 常盤木の
  さながら海に あそべるたのしさ

賀来の「田の草取歌」、振り付けは「鶴崎踊り」の猿丸太夫の手振りを参考にしています。

急「姫島」
ひたごころ 秘めこし姫島 ひとつにし
  結ばれゆきつ 千万(ちよろず)までも

姫島村の子守唄と盆踊りの曲を、振り付けは「狐踊り」を参考にしています。

退出音声「岡城跡」
見のたかき 岡の城あと 神さびて
  霜さえわたる 千代の松が枝

竹田市神原の祝い唄「ヨイヤナ」を参考にしています。

因みに昭和天皇御即位の折りに作られた昭和大嘗祭主基地方風俗舞(現在、福岡県宗像大社にて保存会による奉納があります)を次に御紹介致します。

参音声「高良山」
ちはやぶる 高良の山の神籠石
  かけずくづれじ 御代に ならいて

福岡県久留米市鎮座の高良大社高良山に古代山城として築かれた「神籠石」という数キロメートルに亘る大きな石の列石群が今も国の史跡として残っております。

破「伊岐松原」
うち渡す いきの松原 いききと
  坂えむ御代の 色ぞ見えたる

急「企救濱」
君が代は よき事のみを きくの濱
  命長きが 嬉しかりけり

退出音声「和布刈神社」
はやともの 宮のはふりが 刈るといふ(う)
  めでたき御代に 逢へ(え)るわれかな

若宮八幡社の歴史

若宮八幡社の指定文化財

  1. 若宮楽(大分県指定無形民俗文化財)

    毎年9月中旬に斎行される楽打ち神事で、中世の風流踊りと念仏踊りの系譜をひく芸能である。元禄10年(西暦1,697年)の再興と言われている。
    (昭和41年3月22日指定)

    若宮楽(大分県指定無形民俗文化財)
  2. 若宮八幡社の御田植祭(大分県指定無形民俗文化財)

    毎年4月6日に斎行される稲作の予祝儀礼である。
    (平成12年3月24日指定)

    若宮八幡社の御田植祭(大分県指定無形民俗文化財) 若宮八幡社の御田植祭(大分県指定無形民俗文化財)
  3. 若若宮八幡社の境内林(大分県指定天然記念物)

    約13,000㎡に亘り常緑広葉樹に覆われ、また高木層・亜高木層・低木層と階層構造がはっきりしており、自然が保たれている。
    (昭和55年4月8日指定)

    若若宮八幡社の境内林(大分県指定天然記念物)
  4. 若宮八幡社大額(杵築市指定有形文化財)

    • 一、旭に波図 十市石谷画 製作年不詳
    • 一、犬追物図 作者不詳 安永7年(西暦1,778年)

    (昭和48年4月13日指定)

    若宮八幡社大額(杵築市指定有形文化財)一、旭に波図 十市石谷画 製作年不詳 若宮八幡社大額(杵築市指定有形文化財)一、犬追物図 作者不詳 安永7年(西暦1,778年)
  5. 若宮八幡社棟札(杵築市指定有形文化財)

    長禄2年(西暦1,458年)以降、約400年間に亘る25枚
    (昭和48年4月13日指定)

  6. 若宮八幡社の石造物群(杵築市指定有形文化財)

    寛永20年(西暦1,643年)の鳥居など。
    (平成11年5月10日指定)

若宮八幡社の歴史