伝統行事のご紹介(御田植祭)
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境内のご案内

境内のご案内と交通アクセス

若宮八幡社境内図

当社までの道のりをご案内いたします。
一の鳥居から境内までは約150mあります。ゆっくりご散策ください。

  • (1)拝殿
    拝殿

    宝暦11年(1761)造営の随神門をくぐると、境内正面に龍の鬼瓦や蛇腹などの煌びやかな瓦を組み合わせた拝殿が現れます。

  • (3)参道
    参道

    一の鳥居から境内までは約150m。二の鳥居を潜ると元禄6年(1693)に築かれた石段があり、その脇に天保4年(1833)と文化10年(1813)に建立された2対の狛犬が待っています。

  • (4)杵築若宮八幡社の境内林(県指定天然記念物)
    杵築若宮八幡社の境内林(県指定天然記念物)

    面積1300m²にわたり常緑広葉樹に覆われています。高木層、亜高木層、低高木層と階層構造がはっきりと保たれた貴重な自然林です。

  • (2)和漢将軍社
    和漢将軍社

    若宮八幡社本殿の横に摂社「和漢将軍社」が祀られている。祭神は杵築藩の初代藩主である木付親重公である。親重公(1225~1285)は、杵築地方開発の始祖と仰がれ、またお名前通りに学問の神様として広く崇敬を集めている。建久7年(1196)に大友能直が豊前豊後の守護職となった。建長2年(1250)大友家2代親秀の六男親重が木付に封ぜられ、3,500貫を領した。
    建長元年(1249)大友親重は、大将軍藤原頼嗣に謁し、従五位下に叙せられた。父から速見郡武者所として、3,500貫を受け、豊後国八坂下荘木付邑に下向した。はじめは鴨川の桶屋敷に居たが、竹ノ尾城を築いて移り、大友の姓を木付に改めた。
    親重は若武者であった25歳のとき、御嵯峨天皇の第1子宗尊親王から『和漢将軍と称すべし』と褒めたたえられたのがその名の由来であるほどの文武兼備の智将である。
    弘安4年(1281)蒙古軍来襲のとき、鎌倉に詰めていた大友氏3代頼泰の名代としてその兵を指揮し、770余騎を率いて博多に出陣、蒙古の大軍を八角に襲い、その5,000騎を撃退し、大船5隻を捕獲した。
    弘安8年(1285)2月18日、嶽ノ尾城内で没した。行年60歳であった。
    若宮八幡社の社殿と並び「和漢将軍社」の霊廟には、その命日に毎年、若宮八幡社の摂社として祭祀が斎行されている。

交通アクセス

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お車でお越しの場合
大分空港道路・杵築インターより車で約6分
JRをご利用の場合
JR日豊本線・杵築駅よりタクシーで約12分